高校の現国、第一学習社の村上春樹の鏡を読むとハルキストになるか
村上春樹と言う人は熱狂的なファンが世界中にいるときく。私だって名前は知ってるし、ノルウェイの森なら実家に赤と緑のセットがあったので読んだと思う。当時の私は20代だが意味がよくわからなかった。病人の元できゅうりにのりをまいて醤油をつけて食べてたシーンを覚えている。ラストシーンだと思うところで、誰かに電話をかけて、あなた今どこからかけてるの?あぁぼくはいったいどこにいるんだ、、みたいなとこも覚えている。物語の本筋はピンとこなくても、ワンシーンを心に残す名人なのかもしれない。米津玄師にリマインドされて「山椒魚」井伏鱒二の読書感想文
そんな村上春樹が高校の国語の教科書にのっている。これが、スピリチュアル系の話で面白かった。これならきっと頭にいつまでも残る。しばらくたったらもう一回読みたいな、と思いそうな内容だ。今時の若いひとたちは、ライトノベルという類の本を好むらしい。だいたい現実離れしたファンタジーな話だ。生まれ変わったら、とか、パラレルワールドとか、魂が入れ替わる、とかそういう霊とかお化けとはちがう、ひょっとしたら気づいてないだけで科学で解明できない世界があったりして、、と思わせる内容が続々出ている。ジャンプやマーガレットなどの漫画も現実の学園ものよりも、そういうのが多いが、村上先生はそこをついてきた。
みんなの体験談のタイプを「ふたつに分類」したのはなぜか。・・・みんなの話すタイプは大きくふたつに分けられるけど僕は今から三つ目にあたるタイプの怖い体験、を話しますよ。そういう属があること知らないでしょ、、と思わせて興味を引き付けてるのだ。
「散文的な人生」とはどういう人生か。・・・散文の逆さまは韻文だ。韻文とは、詩とか俳句とか立派な文章のこと。それに対して散文は普通の文章のこと。決まりもないし、ただ筆者のおもむくまま書かれている。散文的な人生とはありふれた人生ということ。
「そういうのが正しい生き方」とは、どういう生き方か。・・・ほとんどの人が高校を卒業したら大学へ行ったり、働いたりして、また決まった場所に定住するのに、そういう型にはめられた生き方をせず、大学にも進まず、決まった場所に住むこともせず、肉体労働をしながら移動する生き方のこと。
「それは」という指示語は、どういう役割を果たしているか。・・・ここまでは前置きだ、今から本題に入るよ、とこれから話すことに注意をひいている。
「いつもより急ぎ足で廊下を歩いた」のはなぜか。・・・まず三時のアラームで起きづらかったこと、見回りすることが何故だか気が進まなかったこと、意を決してえいや、と出てきたけどプールの仕切り戸の音がどうも異様に感じられたことなどなど、とにかく早く用務員室に戻りたい、って思ってたから。
「昨日の夜」とはいつのことをさすか。・・・前回の見回りだから夜の九時のこと。
人間にとって一番怖いものは、実は自分自身なんだよ、僕なんてそれがトラウマでいまだに家には鏡を一枚もおいてないから髭剃り大変なんだぜ、なんて、、、
自分が自分のことを大事にせずに、安易な人生を選んできたのなら自分のことを憎むよね。うまくいかなかったときに周りのせいにして自分の保身をしてきたならやっぱり自分が嫌いになるよね。その反面、つらくても自分と向き合って乗り越えてきたなら鏡の中にうつる自分は、きっとよくやった、だから今幸せなんだぞ、って誇らしげに見えるはずなんじゃないかな。自分を客観視できる鏡って見たいかな、それとも見たくないかな?
第一学習社さん、未来のハルキスト誕生したんじゃないですかね。


