井上ひさしの吉里吉里人が高校国語で出てきたけど私の吉里吉里語は?
井上ひさしさんというと、新釈遠野物語、だ。だいたい、スピリチュアルな話が好きだし、河童や天狗、科学で解明できない話が好きだから、小泉八雲とか中国の古いお話とか好きで、四字熟語の込められた物語も好きだ、からの、遠野物語は強烈な印象を持っている。わざわざ新釈じゃないほうもトライしてみたが注釈を頼りっぱなしで疲れてあまり話は入ってこなかった。『おかあさん、お空のセカイのはなしをしてあげる!』を読んで救われたのは流産を経験した人だけじゃない
きりきり人とは架空の国の人たちのことだ。方言を代表してズーズー弁こそが宿命だ、と断言される。共通語や標準語は、お上のひとたち、つまり権力を持つ人たちの言葉であり、もうこれ以上は彼らの命令には従わないのだ、と息巻かれる。うんにゃ、と答えたら最後、我々は日本から独立する、ということは日本語は吉里吉里人にとったら外国になるのだ、と力強い。
私が京都弁を話していたのはおそらく19歳ごろまで。その後、海外に行き、帰国してからも京都以外の友達が出来、大阪で就職し、子供が生まれ、じわじわと京都弁は抜けていった。今は実家の親と話すときも若干おかしな言葉だ。第三者が聞くと、京都弁かもしれないが、もうだいぶ違ってきている。
漫画で知ってたドラえもんがアニメになったとき初めて、え?そんなイントネーションなん?と思った。テレビで京都の嵐山が、、というアナウンサーの紹介に、いやいや、あらしやま、やで、とイントネーションを正したくなる。吉里吉里人をつらぬくには意思がいるものかもしれない。
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