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『おかあさん、お空のセカイのはなしをしてあげる!』を読んで救われたのは流産を経験した人だけじゃない

胎内記憶ガールの日常、というのがこの本のサブタイトル。うん、好きなやつだわ。こういう、本当か嘘か確証はないけど、あればいいな、というか信じたい世界の話、好き。古今東西、よくある話。東北、岩手の遠野に伝わる話をまとめた、遠野物語。中国で古くから伝わる怪談。神隠し、生まれ変わり、前世、妖精、カッパ、キツネ、などなど。しかもこれはマンガだ。買うわ!

メルカリで(笑)

新品と見違うほど、綺麗な本が届いた。この存在を知ったのはネットで一部上げられてたからだけど、それはほんの一部だったことがわかる。買って良かった。いい買い物だった。

子供は親を選んで来た。

これは二児の母としては嬉しい。息子たちが私のことを、お母さんになってほしいな、と選んでくれたのなら嬉しい。もう20年前になるが、初めての出産で夜中に授乳をしていた時、思ったことがある。

あぁ、私このために生まれて来たんだわ。

若い頃、自分はどうしてココにいるのか、死んだらどうなるのか、そんなことチラリと思ったことがあるのは誰しもかもしれないが、自分は深くは考えなかった。だってみーんな、立ち止まらず日々の生活に追われるもんだもんね。そんなことを急に初産のあとしばらく経った時思い返した。あぁ、私はこの子を世に送り出すために存在したんだわ。この子を産むのは私しか出来ないこと。この子を育てるのも他の誰でも無い、私しか出来ない。片時でも目を離したら死んじゃう存在を目の前にしてそう強く思った。

胎内記憶https://ja.wikipedia.org/wiki/胎教

筆者である「おかあさん」は一人目の子、ひいちゃんから、ある日突然、おかあさん、赤ちゃん産んでいいよ、と言われる。当時、ひいちゃん若干二歳。産んでいいよ、って変なこと言うなぁ、って思ってたら妊娠発覚。女の子だよ、名前はふうちゃんだよ、お空のセカイで一緒にいたよ。先におかあさんのお腹へ滑り台で降りてったんだけど、またお空に戻って来たんだよ、忘れ物取りにね。で、結局ひいちゃんが先にこのお家の子になったんだよ。

おばあちゃんの夢の話、はこちら→死後の世界を見たおばあちゃんの話

スラスラ幼児の口から出てくる夢物語があまりにリアルで漫画家のおかあさんは、マンガに書き留めることを決意。だって、ひいちゃんを妊娠する前に流産してた事実が夢物語を裏付けることになったから。

このマンガを読む前にも、2、3歳の子が、お空からママを見つけて来たんだよ、と話しだした、というストーリーは聞いたことがある。我が子たちは、その年齢でそこまでお話出来なかったし、聞いてみよう、なんてことも考えなかった。

ひい、ふう、みい、と三人の娘に恵まれた漫画家のおかあさんは、長女のひいちゃんの話に魅せられていく。

子供特有の作り話かしら?

それにしては良く出来た話!

生き物は全ていつか死を迎える。死を迎えたらその先どうなるの?何にも無しなの?そんなこと死んでみなくちゃわかんないね、、、

光の粒になるんだよ

犬も猫も人間もみんな死んだら光の粒になってお空に行くの。天国だよ。そこでみんなお互いどんな人生だったか話し合うんだよ。それで、次は何に生まれ変わりたいか決めるの。決めたら、赤ちゃんの世界に降りていくの、そこにはいろんな形の神様がいてお世話してくれるんだよ、でね、下にいるお母さんをいろいろ見て選ぶの。お母さんたちの方からニョキニョキっと滑り台が伸びてくるから、見学しにいったりもしたよ。。。

この話を私は信じます。

輪廻転生、という考えは古くからあるわけだけど、こんなリアルな説明は未だかつて聞いたことがありませんでした。私はこの話を信じます。信じたいのです。亡くなったあの人もこの人も、光の粒になり、自分の次の人生を選び、親を選び、そしてもう新しく赤ちゃんから人生を始めてる。そう思いたいのです。私のおばあちゃんやおじいちゃんを始め世の中の多くの亡くなった人、そして誰よりも私の同級生。彼女が亡くなったことを知ったのは、亡くなってから半年以上経ってからでした。最後に会ったのは大学卒業時。それから亡くなるまで30年近くも私は会っていませんでした。

夢の中で私は高校生のころ彼女とよく歩いた四条河原町から三条にかけてぶらついていた。今はビルも変わって店も変わっている。夢の中ではところどころが廃屋のようになっていた。古い景色と廃屋を通り過ぎて、鴨川沿いのベンチで向かい合って座った。鴨川沿いにベンチなど存在しない。夏になれば床が出されるあたりに夢の中で石造りの大きなベンチに座り正面から彼女の顔を見て、思った。

あ、言わなきゃ

こないだお父さんに会いに行ったの、何か言うたはった?ごめんな、勝手に行って、、、、いや、そんなこと言うたら目の前の彼女は消えてしまうような気がした、違う、言いたいことは、、、

急いでる?急いでないやんな、えっと、、、急に慌てて私は脱いでた靴を履きなおしながら片っぽはまだ履けてないまま、彼女の腕をつかんだ。白いシャツを着た腕を強くつかんで、言った。ごめんな、ありがとうな、、、ほんまに、、、私の友達の中で、、ホンマ、、おしゃれで、センス良くて、、音楽のセンスも良くて、、、涙声でかすれたから、繰り返した、、支離滅裂やったと思う、でも言えた。

はにかんだように笑ってた、そんなことないよーというふうにうつむいてくびを横にふって笑ってた。私の知ってる彼女だった。二十歳前後の彼女だった。その後の20数年をようこは知らんやん、、と言ってるようにも思えた。自己満足の演出に思えた。

日々の生活の中で、チェっと思ったり、ツイテない、とぼやいたり、あーあ、と叫んだりする時、ふっと彼女が出てくる。

比べものにならないぐらいアンタは幸せやで。

そう聞こえる。あの子はどんなに辛かったろう。どんなに悲しくてどんなに痛かったろう。何のバチが当たったというののだろう。どんな悪いことをしてそんな仕打ちを受けるのか、、可哀想で可哀想で、いっそ、忘れてしまえたら。でも、

あの子は今もう光の粒に戻っているのだ。辛いだけではなかった人生を話し、次の人生を選んでいるのだ。もしかしたら早々とお母さんのお腹に滑って来ているのかもしれない。そうだ。きっとそうだ。あの子は今もう幸せな人生の一歩を歩み始めているのだ。そうに違いない。

She deserves it.

もう辛い思いはしていない。あの子は幸せになる価値のある人だから。暖かい家庭に生まれ可愛いがられて育っていくのだ。そしてまたどこかで私は会うのかもしれない。気付くことはなくても。あの子は今は幸せなんだ。そう思うと心が晴れ晴れとするのだ。

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