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【読書感想文】外山滋比古『思考の整理学』に背中を押され断捨離をする

外山先生の文章が好きだ。シンプルでわかりやすい言葉。難しい内容も身近な例でイメージしやすく語ってくれる。文末にクスッと笑える一文や、グッと心に残るセリフが入るのも楽しみにしている。

外山滋比古https://ja.wikipedia.org/wiki/外山滋比古

初めて先生の名前を知ったのは国語のテスト問題だったと思う。滋比古、シゲヒコという名前は聞くに珍しく印象に残った。あ、国語のテスト、といっても自分の、ではなく、長男のテスト問題で、彼が小学生か中学生の頃のはなし。塾のテキストか模試の問題か、で出会ったと思う。もしも自分がテストで試されている立場なら決して問題文に対して、作者は誰かしら、などと入り込むなんてことは無かったと思う。まず、そんな余裕は無いし、答えの一文を探す作業に徹底している。それに、そこまで真剣に取り組んでいないはず。そこへいくと、我が子の受けてくるテスト問題は、当事者じゃないという余裕がある。あら、面白い文章出してくるねぇ、といった物見遊山な感覚でもあるし、そこをついてくるかぁ、と、偉そうに問題作成者の立場になったりも出来る。何しろ正答出来るかどうか、は置いとくことが出来る故の余裕だ。

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息子たちのテスト問題で、初めて出会い、続きが気になりその作者に興味を持ち、本を買う、ということは私にとって、多い。たかが小学生、中学生に試される文章を大人の私は初見だという事実。どんだけ私は本を読んで来なかったのか、とも感じる。それらが最近の本ならまだ救われる。でも正直、古典中の古典、昭和生まれなら学生時代に頻繁に耳にしたような、夏目漱石も芥川龍之介も、宮沢賢治だって読んでないのだ。作者と作品を線でつなぎなさい、というクイズがあれば正解出来ると思う。作品のあらすじは?なら言えたり言えなかったりのレベル。

本なんか読まなくても大人になれるし、困らない。

なのだろうけど、知らない、ということがとてもマイナスに感じる。この歳になって当然、テストは無い。誰かに聞かれることも、話す必要もない。でも、私には分かっていない分野がある。ほとんどの日本人が知っている分野、小学生で十分理解出来る分野のことを私は知らずに過ごした、そのことがもったいなく思ってしまうのだ。

だから子供がいることがありがたい。昔、テレビか何かで、タレントのラサール石井さんが、子供がいると

二度目の人生を送っているようだ、

と言われていたが言い得てると思う。ウチの親は私が子供の頃、どんな文章を子供が国語で読んでるか、とか、まるで気にしてなかったと思うぐらい、忙しく、子供もほったらかしだったが、自分は息子たちの学校生活から、あぁ、自分が彼らの歳の時はあぁだったこうだった、と違う視点で見ることが出来るぐらい恵まれた環境にいることを嬉しく思っている。

そんな境遇で出会う数ある文章の中で、繰り返し出会う作家さんがいる。中でもダントツなのが外山滋比古さんではないだろうか。実際、国語問題に頻出の作家、ということも聞いたことがある。そんな人気作家の先生のベスト作品のひとつがこの思考の整理学だ。帯には、

東大、京大生に選ばれる一冊、

とある。そう、この本は、この帯に惹かれて購入したと記憶している。有名人の◯◯さん推薦、とか、◯◯さんも絶賛、とか、ではなく現役の学生、しかも賢い学生さんに選ばれていますよ、という宣伝。当時、すでに息子のおかげでその名前を知り、ちょこっと読みながらも先生の文章を気に入っていた私は迷わずスッと購入したと思う。

どんな本なん?息子に聞かれた。

「えーっと、、頭ん中で色々考えてることあるやん?それを人に話したいなぁ、って思っても上手く説明出来んかったりするやん。そういうの上手にするには、自分でこうしといたらええよ、っていうことが書いてあるねん。」

というのが、当時高校二年生の息子に説明した私のことば。自分の中では彼によく解るように噛み砕いてシンプルに説明したつもり、だが、聴き終えた息子の一言が、

オレ、説明文は嫌い

この一言で私は笑いに笑った。なんで笑うん?と訳がわからなくてまた息子も笑う。それがまた可笑しくて笑いを止めるのに苦労した。私はせっかくこの本に興味を持った息子に、出来ればもっとこの本のことを理解して欲しいなぁ、という気持ちで言葉を選んだのだ。あわよくば、彼の口から、あぁ、そういうことってあるよね、という共感が返ってきたり、もっと期待するなら、へぇ、俺も読んでみようかな、というぐらいのリアクションを想像していた。それがまるで真逆。開きかけたドアをピシャリと門前払いされた。でもいいのダ。彼の年齢から30年ぐらい経ってから私は価値に気付いたのだ。そう。若者よ、いずれ君も気付く日が来るであろう。。

考える、という時、それは自分の持てる限りの言葉を組み立てて「考える」を行っているのだそうだ。人はことばで考える。だから多くの文章、語彙、に触れてきた人は、より繊細に深く考えることが出来る。その逆は言わずもがな。この本の中で先生は、主に学生諸君に語りかけている場合が多い。卒業論文を間近に控えた生徒の例がしばしば出てくる。課題とは言え、学生たちは自分の考えを他者に伝える、という必要に迫られた際、何を伝えればいい?どう伝えればいい?何から始めればいいかすらわからなく、途方にくれる、という状態であることを先生はよくご存知なのだ。ただ決して四回生のみの悩みではない、学生でも、社会人でも、主婦でも、子供でも、誰しも自分の考えを人に話す時、頭の中をきちんと整理出来てたら相手に理解してもらえやすいのに、と思うことは多いと思う。先生はいろんなデータ、アイデアの保管の仕方、選別の大切さ、寝かせる意義を具体的に示してくれる。短い章仕立てなので、ちょこっと読んで、またちょこっと開いて、というように短い集中で楽しめる本になっている。中には決して楽に理解できないような内容もあるし、この熟語どういう意味ですかぁ、、という語彙も多く出て来る。反対に、あるあるーと、先生の具体例に納得したり自分の経験と置き換えられるぐらい深く理解できることもある。数ページごとの章がまるで授業を受けているかのようにも思える。各章にはタイトルがあるので後から、もう一度振り返りたい時も探しやすい。文章中、〜、ということは既に話しましたね、と振り返られることもあるので、うんうん覚えてます、あれ、何やっけ、とあまり優等生ではない私は何度も遡ってページをめくる。サッパリ言わんとされてることが掴めない時は、スルーする。何か難しいこと言うたはるなぁ、と流す。自分の理解力の低さに落ち込まない。またいつか解る日が来るかもしれない、と前に進む。時代の流れで、数ある工夫を、今ならこの代替えとしてスマホに機能があるなぁ、とか、もっと活用出来る時代になってる、と思うこともある。現代人は良い道具をいっぱい持ってるのに使いこなせてないんだなぁ、という気にさせられる。道具ばかり揃っても肝心の中身が無いと活かせない。その中身をどうやったら立派にしてやれるか、又、どうやったら真贋の区別がつくか、そんな内容もあるように思う。もしもこれが今時のノウハウ本なら、相手と差をつけよう、的な感じになるがこれは違う。

古今東西、人間はこうやってきたよ、分かりやすく後世の人たちに伝えるためにことわざ、ってのがあるんだよ、あなたの感じてることと同じこと何年もかけて解決してきたよ、あなたは彼らよりもう少し短い時間で解決出来るといいね、そんな風に受け取れた。

そして読んでる途中なぜか、

猛烈に断捨離したくなった

断捨離https://ja.wikipedia.org/wiki/断捨離

もちろん、そんな話は出てこない。家を片付けましょう、とか、要らないものを捨てましょう、なんて関係ない。頭の中の思考の整理であって目に見える物理的な整理ではない。なのに、アレ捨てよう!あっち整理しよう!急に無駄なものを分別することを先延ばしにしていることに気づいた。洋服だったり手紙だったり、書類だったり、、、とりあえず捨てなけりゃ安心、と今日まで来たが、違うのだ。自分にとって不要なものをはびこらせてきたせいで、大事なものが隠れ新しいものが入って来なくなって来ている、と感じた。

考える考える考える

まぁいいか、で過ごしてきたこと、じゃまくさいしね、で置いてきたこと、またいつか、のいつかが永遠に来ないことに気付きだす

考える考える

そしてまた、ま、いっか、に戻る。でも少しずつ少しずつ、まずは気付く、動く、寝かせる、A watched pan never boiled

見つめる鍋は煮えないよ、と諭される。そうかそうかそうか。時が諭してくれるのだ。

また数年経ったら私はこの本を開くのかもしれない。そしてまた違うインスピレーションをいただく。そう、インスパイアなのだ、この本は。

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